Samuel Morse

ワシントンD.C.にあるアメリカ合衆国議会議事堂で、千八百四十四年の春、サミュエル・モールスにとって極めて重要な瞬間が訪れました。彼は自身の電信機の前に立っていました。長年の粘り強い働きかけの末、議会から三万ドルの歳出を確保していたのです。ボルティモアで受信側に控える助手のアルフレッド・ヴェイルと共に、モールスは世界初の公式電報を送信しました。 「モールスはキーを叩き、その声は明瞭でした。『神のなしたる業はいかに?』アニー・エルズワースが提案した聖書の一節から生まれたこのメッセージは、およそ四十マイルを駆け抜け、瞬時に距離を縮め、新しい時代の到来を告げました。」

数年前の千八百三十二年、著名な画家であったサミュエル・モールスは、ヨーロッパからの帰路、郵便船サリー号の船上で、彼の人生を変えることになる会話の中にいました。同乗者であったチャールズ・トーマス・ジャクソン博士は、電磁石を使った実験を披露し、電気の特性について議論していました。 「モールスは、ジャクソン博士がワイヤーをバッテリーに接続するのを熱心に見ていました。『この電流は』とジャクソンは説明しました。『ワイヤーの中をほとんど瞬時に伝わりますが、その力は距離とともに弱まります。実際のメッセージに役立てるには、工夫が必要です。』モールスは熟考しました。『電気が一方の端で印をつけることができるなら、遠距離で一連の印をつけることはできないだろうか?鍵となるのは、信号の強度を維持することだ。』」

ジャクソン博士のデモンストレーションに触発され、モールスは深い洞察を得ました。彼は、電気の瞬間的な伝達が、単純な信号をはるかに超えて、通信に利用できることに気づいたのです。課題は、弱い電気インパルスに永続的な記録を残させ、それに対する普遍的な言語を作り出すことでした。 モールスはノートに猛烈な勢いでスケッチしました。「電流がキャリアとして機能するんだ!」彼は発見に目を輝かせながら、独り言を言いました。「短いバーストがひとつのマークを作り、長いバーストが別のマークを作るなら、それらの組み合わせで文字を表せる!しかし、広大な距離にわたって信号を維持するにはどうすればいい?」彼は電磁気の原理を思い出し、増幅のために中継機構、つまりリレーが不可欠であることを知っていました。

ニューヨークに戻ったモールスは、自身の構想を実現することに専念しました。芸術的な追求は後回しになり、彼はスタジオを工房へと変貌させました。そして、日常的な材料を使って、粗雑ながらも機能的な試作品の製作に取り掛かりました。 モールスはハンマーを打ち、配線を行い、しばしば苛立ちました。「確実に動かなければならない!」彼は額の油を拭いながら宣言しました。「紙テープは動き、電流が流れたときにペンが正確に印をつけなければならない!」彼は自分の作品、つまり古いキャンバスの張り枠、時計仕掛けの歯車、そして配線を見つめました。「あらゆる抵抗を克服し、あらゆる接続を完璧にしなければならない。」

電信システムの複雑さは、一人の人間では対応しきれませんでした。モールスはすぐに重要な協力者を見つけます。教授であるレナード・ゲイルは科学的な支援を提供し、さらに重要なことに、若く聡明な機械工であり実業家であるアルフレッド・ヴェイルが、財政的、技術的に貢献しながらこの事業に加わりました。 「モールスは、扱いにくい自分の機械を指差しました。『アルフレッド、君の機械の腕はかけがえがない!』ヴェイルは、粗雑なペン機構を検査しながら頷きました。『もっと高い精度が必要です。そして、真に普遍的なシステムのためには、コードの改良が必要です。すべての文字に効率的なものが。』彼はコードの変更を提案し、頻繁に使われる文字を短くすることで、速度のためにシステムを最適化しました。」

試作品が完成したモースは、次の課題は技術的なものではなく、政治的、財政的なものであると理解していました。電信線を敷設するには莫大な費用がかかるため、政府の支援が必要でした。彼は何年にもわたって精力的に運動し、ワシントンD.C.で懐疑的な意見や法案の遅延に直面しました。 「モースは下院議員の委員会で、記録された点と線の電信テープのサンプルを掲げながら演説しました。『紳士諸君、この発明は我が国を結びつけ、知識を州を越えて、いかなる馬や鉄道よりも速く伝達するでしょう!』懐疑的な下院議員、ホプキンス議員は嘲笑しました。『話す電線だと?まったくの空想だ、モース氏。広大な距離での実用的な証拠はどこにあるのかね?』モースはきっぱりと答えました。『証拠はその可能性の中にあります。その可能性は、皆様のビジョンと支援があって初めて開花するのです。』」

議会からの資金調達への働きかけは、千八百四十三年にその頂点に達しました。モールスは、実験的な電信線のために三万ドルの法案が議論されるのを、不安げに待ちました。会期の最終日、その法案はまだ宙に浮いており、失敗まであとわずか数票というところでした。 「モールスは、重い心で議事堂の廊下を行ったり来たりしていました。『これだけの年月を経て、本当に失敗するのだろうか?』彼は支援者であるサイラス・ライト上院議員につぶやきました。ライトは彼の肩を掴みました。『投票はもうすぐだ、サミュエル。信じられないほど僅差だ。ヘンリー・ワズワース・ロングフェローがかつて書いたことを思い出してくれ。「思考とは心の弓から放たれた矢である。当たることもあれば、外れることもある。」我々は的を射た、あとはその飛翔を待つのみだ。』時計は容赦なく真夜中へと時を刻んでいました。」

ボルチモア・ワシントン線の成功は、通信革命を巻き起こしました。企業が急速に台頭し、アメリカ中に何千マイルもの電線を敷設していきました。しかし、真に広大な距離、特に大洋を越えて接続することは、電気信号にとって大きな障害となりました。 「今や業界の長老となったモールスは、広がるネットワークを眺めていました。『我々が考案した中継システムは、アルフレッド』と彼は、新しい中継局を監督していたアルフレッド・ヴェイルに語りかけました。『サリー号で話し合った重要な要素だったね? それがなければ、信号は数十マイルで消えてなくなっていただろう。』ヴェイルは頷き、カチカチと音を立てる装置を指差しました。『その通りです、サミュエル。各中継局が新たな発射点となり、メッセージを増幅させています。これこそが、我々が大陸の広大さを真に克服する方法であり、いつか、大洋をも克服する方法なのです。』」

モールスの電信はすべてを変えました。ニュースは馬ではなく、光の速さで伝わるようになりました。商取引は瞬時に行われるようになりました。軍隊は戦場を越えて迅速に通信できるようになりました。世界は縮小し、わずか数十年前には想像もできなかった方法で深く相互につながるようになりました。 「ニューヨーク市のある新聞編集者が、電信で届いた速報を読み、目を大きく見開きました。『リンカーン大統領が宣言した…』彼はニュースを求めて騒いでいたスタッフに発表しました。『これは前例のない速さだ!情報がわずか数分で、数週間ではなく、出来事を形作るようになった!』別の部屋では、ある商人が貿易注文を口述していました。『すぐに売れ!ロンドンで価格が暴落したばかりだ!』情報の瞬時の流れは、商業と紛争を再定義しました。」

サミュエル・モースは、その発明が文明を再構築したことで称賛される人物として亡くなりました。芸術的な観察と科学的な粘り強さから生まれた、彼の見た目にはシンプルな点と線のシステムは、長距離通信の世界標準となりました。彼が築き上げたものは彼よりも長く生き残り、永続的な遺産を築きました。 「数十年後、モールス信号を学んでいた若い無線通信士がメッセージを打ちました。『この言語は、』と彼は思いました、『私たちのあらゆる電子通信の祖父母だ。それは私たちに、静かに、素早く、思考を海を越えて送る方法を教えてくれた。』遺産は機械だけでなく、瞬時の、符号化されたグローバルな接続という概念、画家が描いたビジョンによって織りなされた見えない網でした。」